田上 竜也
慶應義塾大学日吉紀要フランス語フランス文学 42(42) 81-95 2006年
以下に訳出するのは、ポール・ヴァレリーの未完草稿『ストラトニケー』の一部である。企図としては1922年頃に始まり、1930年から35年にかけて精力的に執筆され、さらに生涯書き継がれたこの作品草稿は、フランス国立図書館に収められ(Naf 19034 ff.76–302)全体で200葉以上の紙片からなる、ヴァレリー未完作品のなかでも大規模なものである。もとよりここでそのすべてを紹介することは不可能であり、また草稿全体を見通した詳細な分析も別の稿に委ねることとして、ここではユゲット・ロランティによって活字化された部分のなかから、対話下書き草稿を主として抄訳した。 作品の構想については既にいくつかの先行研究によってあきらかにされているが、主題はアングルによる、シャンティイおよびモンペリエ美術館にある絵画から触発されたものであり、その原作はプルタルコスの『対比列伝』(「デメトリオス」)に遡る。話の筋は主要な4名の登場人物、すなわちシリア王セレウコス(『カイエ』の構想ノート(C, XX, 714)によれば53歳)、王妃ストラトニケー(マケドニア王デメトリオスの娘。同15歳)、王子アンティオコス(1世ソーテール。同18歳)、 および医者エラシストラトス(同40歳)を軸に展開され、その中心となるのは王子の、年若い義母である王妃への道ならぬ恋と、それを知った王から王子への、王妃の譲渡である。 全体はプロローグおよび3幕(あるいはそれにエピローグを加えた)構成からなり、その内容は次のとおりである。まずプロローグでは門番の道化的な語りによる状況説明。第1幕では、王と王妃との会話。王は王妃に、原因不明の病床にある王子の自殺を阻むべく剣を盗むことを命じる。王と医者との対話。第2 幕では、剣がないことに気付いた王子の怒り。王子の病の原因を突きとめるよう命じられた医者による診察。肉体的な病気との最初の診断と王への報告。再び患者のもとに戻った医者の眼前を王妃が通り過ぎる。病の原因の発見。第3幕では医者の独白と王への報告。王の怒りと王子への殺意。王の独白につづく最後の決断。大団円となる登場人物による「4重唱」。 主要な登場人物4名のうち、老いや死の恐怖、愛の蹉跌に苦悩する王セレウコス(草稿では王妃との肉体的非交渉が想定されている)に作者ヴァレリーのもっとも直接的な投影を見出すのは容易だろう。カトリーヌ・ポッジィやルネ・ヴォーティェとの恋愛体験に由来するエロスの隘路や、現実的存在、時間内存在である自己を目の当たりにすることによる苦悩という主題は、この作品と、やはりエロスの惑乱から産まれた『天使』とを引き寄せるものである。けれども、王セレウコスのみがヴァレリーの分身であると考えるのは短絡にすぎよう。この作品もヴァレリーのそのほかの対話篇と同じく、ひとつの精神において営まれる内的対話を外在化したものであり、精神が保持する多様性を関係性のうちに表現したものといえるからである。その意味で4者はいずれも作者の反映というべき存在であり、相似的ないし相補的関係をなしながら生の全体を表現している。実際この4者は、老い、叡智(セレウコス)に対する若さ、行動力(アンティオコス)、知性、饒舌(エラシストラトス)に対する身体、寡黙(ストラトニケー)……という対称性のうちに配置されている。息子に対する情愛のうちに妻への愛を断念する王は、王子のうちに「別なる自己」を認めており、両者は「他」にして「同一」という明快なナルシス的鏡像関係を形成する。また一貫して受身な存在である王妃ストラトニケーにしても、現実的女性というよりもパルクやアティクテの造形を受け継ぐ、内的女性性の化身にほかならない。対称性にさらに着目するなら、王と王子の双方から愛される王妃のみならず、両者の対話相手となる医者エラシストラトスも同様に関係のなかで蝶番的な役割を担っており、彼は劇の演じ手かつ観察者として、生命の神秘や身体と精神との葛藤を代弁する語り手である。人物たちのそうした形式的配置が、生の循環を象徴する黄昏から夜明けにかけての時間軸に沿って、筋を展開させていく。 この作品はオリエント̶ギリシャ趣味による音楽劇として構想され、『アンフィオン 』や『 セミラミス』といった劇作の系列に属するが、 精神と身体、「檻のなかの鼠」によって象徴される苦悩の回帰などはエロス体験を直接の契機とし、対話篇『神的ナル事柄ニツイテ』と多くの共通点を持つ。最終的に『我がファウスト』に流れ込んでいく主題系を理解するうえで、欠くことのできない作品草稿といえるだろう。