衞藤 雄二郎, 斎藤 弘樹, 平野 琢也
日本物理學會誌 70(8) 614-619 2015年8月5日
異方的な長距離力である磁気双極子相互作用は,磁性を持つ流体や固体の磁化における複雑なパターン形成など幅広い領域において重要な効果である.近年では,希薄な原子気体である中性原子気体ボース・アインシュタイン凝縮体(BEC: Bose-Einstein condensate)においても,磁気双極子相互作用が大きな注目を集めている.通常,希薄気体における磁気双極子相互作用は微弱であり,熱揺らぎなどの効果により覆い隠されてしまう.しかしながら,BECの持つ高い空間コヒーレンスや系の高い制御性を利用することにより,他の効果に隠されることなく,磁気双極子相互作用によるBECのダイナミクスを観測することが可能となる.中性原子気体BECの重要な特徴の1つは,光を用いて閉じ込めポテンシャルを作り出すことによって,スピンが自由な方向を向くことができる点にある.このスピン自由度を持ったBEC(スピノールBEC)は,2体のスピン交換衝突やスピンスクイージングなどの豊富な物理を提供するだけでなく,高感度量子センサーや量子情報技術等,広範囲な応用を可能にする興味深い研究対象である.更には,磁気双極子相互作用するスピノールBECを考えた場合,スピンと軌道の自由度の結合やBEC界面でのスパイク状の構造形成といった,アインシュタイン・ドハース効果や超固体とも関連する多彩な現象がこれまでに予言されている.最近我々は,^<87>Rb原子BECのスピンの空間分布の自由度を利用することで,90mGのバイアス磁場環境において,微弱な磁気双極子相互作用による効果を観測することに成功した.磁気双極子相互作用は,バイアス磁場中でスピンの状態に依存した僅かな有効磁場を作り出すことが知られている.ここでいう有効磁場とは,周囲のスピンの磁気双極子による磁場のうち,ラーモア歳差運動による平均化後にもスピンへの寄与が残る磁場のことである.本実験で使用した^<87>Rb原子の場合,生成される有効磁場の大きさは10μG程度しかなく,通常90mGのバイアス磁場中で,そのような小さな磁場の変化を観測することは容易なことではない.しかしながら,我々は,BECの高い空間コヒーレンスを利用し,空間的に不均一なスピン分布を作り出すことで,微弱な大きさの有効磁場による影響を観測することに成功した.我々が着目した点は,有効磁場の大きさは小さいが,BECが占有する数十μmの小さな領域においてその向きを反転させることができれば,数μG/μm程度の大きな磁場勾配が生成できるという点である.実験では,ラジオ波によるスピン回転とバイアス磁場方向への適切な大きさの磁場勾配の印加により,螺旋状に分布するスピン状態を生成した.この螺旋状スピンによって作り出される空間変調された有効磁場が,バイアス磁場との相互作用のみでは生じえないスピンの空間構造を作り出す.我々の結果は,非常に微弱な磁気双極子相互作用が,スピン状態によっては磁場中のスピノールBECのダイナミクスに大きな影響をもたらすことを示すものである.