田端 拓哉, 向井 有理子, 宮崎 弦太, 池上 知子
都市文化研究 14(14) 70-79 2012年3月 査読有り
都市社会学の知見によれば, 都市に暮らす人々は多様な社会的アイデンティティを持ちうることが推測される。本研究は, 多様なアイデンティティをもつことが, 個人の精神的健康にどのような影響を及ぼすかを, 大都市部の大学生を対象に検討した。先行研究では, アイデンティティ相互の関係が調和的な関係にあれば, アイデンティティ数の増加は精神的健康を促進するが, 葛藤を引き起こすような不調和な関係にあれば, 逆に精神的健康が阻害されることが示されている。しかし, それがどのようなメカニズムによって支えられているのかについては, まだ不明な点が残されている。本研究では, 自己複雑性理論の観点から, 多くのアイデンティティをもつことは, 自己の諸側面が相互に分化し数が増えることであるととらえ, その結果, ネガティブな事象に対する精神的回復力(レジリエンス)が高められるのではないかと考えた。自己複雑性が高ければ, ネガティブな出来事によって自己のある側面が傷ついても, その影響が自己の他の側面に波及しにくく, 残された側面の資源を動員することによって困難に対処しやすくなると考えられるからである。ただし, それはアイデンティティ相互の関係が葛藤を起こすことのない調和的な場合に限られる。189名の大学生が質問紙調査に参加した。調査の結果, 主要なアイデンティティ相互の関係が調和的であれば, アイデンティティ数の増加はレジリエンスを高めるが, 不調和であれば, アイデンティティ数の増加は, レジリエンスを低下させることが示された。主観的幸福感は, アイデンティティ数と調和性によって影響を受けることはなかった。したがって, アイデンティティの数が増えれば, 幸福感が高められ精神的健康が促進されるという単純な関係にあるのではなく, アイデンティティ数の増加は, ネガティブな事象の影響を緩和し精神的健康の悪化を予防するといった間接的なプロセスによって精神的健康の維持に寄与しているのかもしれない。最後に, 都市的環境と精神的健康の関係に関する研究の今後の方向性について言及した。